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| 三浦 喜八郎様(腰部脊柱管狭窄症) |
三浦様の声 1:発症と状況
2003年8月24日に70歳を記念してオ-ストリアの最高峰グロースグロックナー3798m山の登頂に成功し、来年はさらに100m高 い山に登ろうと頂上で息子と決意をしたが、今日までこの約束は実現していない。この時は全く腰痛もシビレもなく、翌年の1月には仲間と志賀にスキーに行っている。 私の日記に初めて腰痛が出てくるのは、2004年2月14日である。それによれば「腰痛あり、よく眠れず夜中に起きる」と記載されている。その後は近所にある整形外科医院に通 院し牽引や電気的刺激を腰に与える治療を続けているが、痛みは治らず、むしろ左の尻から膝の辺りまで(足の後側)神経痛的な痛みがでてくるようになった(挫骨神経痛)。 12月24日に先生よりMRIをとって原因を確認しようと言われ2005年1月11日にMRIを撮った。私の予想では、「椎間板ヘルニア」でないかと考えていたが先生は映像を見て即座に「老化現象による脊柱管狭窄症」だよ。手術すれば痛みは取れるよ、しかし貴方の場合はいつも痛いわけではないし、10歩も歩けないのでないので、あわてて手術することもない、腰痛で死んだ人はいないのだから、と誠につれない御託宣であった。しばらくリハビリに通院し漢方薬でも飲んで様子をみようということになった。 この頃には、歩きだし5分位すると両足がシビレるようになった。しかし少々我慢して歩いているとシビレもなくなるので、挫骨神経痛的な左足をカバーして歩いていた。私自身はそんなに感じてはいなかったが、一緒に歩いている妻から、「何でそんなに右肩を落とし傾いて歩くの、5〜6回したら一廻りしちゃうじゃない」と、曲がって歩く私の姿を冗談とも思うような言葉で表現している。 ![]() 丁度その頃、本屋で「わが腰痛奮闘記」=腰部脊柱管狭窄症ってご存知ですか?=郡司道子著 があり参考に購入し読んだ。痛みとシビレに苦しみ、あらゆる治療をしても改善されず、最後に湯河原のC病院で手術をし、リハビリを何ケ月も行い痛みが取れたというまさに奮闘記で、よくもここまでやるなー!と恐れ入ってしまう本であった。この方は世田谷在住の日本文芸協会会員で、散歩には我が家の前にある「豪徳寺」にもよく来ていたと書かれてあり、何となく親しみを持って読んでいたが、とてもこのような手術はしたくないと強く思うようになった。 私は世田谷老人大学第21期の歩こう会「にいち会」の世話役で月1回の例会には必ず参加している。歩いている内に痛みは少々とれるのであるが、どうしても左側の挫骨神経痛の痛みは残るので、左足をかばい右に傾いて歩くようになる。例会で何人かの人から指摘され、私が感じている以上に傾いて歩いているのだ判った。 映画やコンサートで長い時間腰掛けていると、歩きだして直ぐに膝から下が両足シビレる。これがだんだん酷くなってきた。だから電車に乗ってもドアーの所に立つようにしている。一旦座ると立った後がつらいのである。この頃は直ぐに座席を譲ってくれる方いるので席のある方には行かないことにしている、困るのである。 毎夏のドイツの息子宅訪問も痛みやシビレがあっては楽しくないと思い、2005年7月の初めに愛知県の病院まで行って、レーザーによる手術を50万円近い費用で実施したが全く効果はなかった。従ってこの時のドイツ生活は苦しいものであった。 その後文化Aのクラスメートの篠塚さんが、同じ病で、手術が出来ないので、すがる思いで鍼灸に通ったら痛みが取れ、自主研にも歩いて来られるようになった、と聞き私も早速そこの鍼灸院に通うようになった。 しかし、痛みシビレは相変わらず取れず少しずつ悪くなるような気がしてきた。今年も夏にはドイツに行くし何とかしようと、白内障(左眼)手術が成功し落ち着いた所で、今回入院手術をした岩井整形外科病院に電話で伺い、初診は院長の稲波先生が診てくれると予約することが出来た。 この病院は、娘がパソコンで調べてくれたり新聞に記載された記事などがあり、従来私が恐れていた背中の切開手術でなく内視鏡で技術も抜群であることが判り、思い切って行くことになった。私の頭の中には前に読んだ郡司さんの「腰痛奮闘記」が染み込んでいたので、何とか手術なしで治したいという思いが強かった。今思えば、昨年のレーザー治療の時にこちらに来ていたならばと考えるが、人生には試行錯誤があるから成功した時の感激も大きいのではないかと思う。 2:入院と手術…そして結果は? 7月14日には成田からドレスデンに行くことは確定している。 5月1日初めて病院へ、初診は稲波先生が私の話しを聞いてくれる。そして手術前の診察検査が実施された。入院までにその後3回通 院しMRIやX線撮影、心電図、血液・小水検査などを 行い、ドイツ行きもあるので6月9日入院、10日手術、入院期間は約10日位と決まった。 私が、手術を決意したのは、院長先生の手術の説明、それもパソコンを前に、私のMRIの映像を診ながら、パソコン画面で手術の経過を見せながらのもので、特に先生は「手術室内では患者は貴方だけ、あとは全部病院側である。手術中に何かあっても貴方は何も言えない。そこで当病院では手術初めから終了まで全部ビデオに撮ってある。医者も人間だから、厳しい状況を自らに課して手術している」と、全く私が予想もしていない驚くべきことを、さらっとおっしゃる。この時私は既に手術は成功するであろうと確信したのである。 入院時の注意書に愕然とすることが一項目あった。(これは 全く私個人のことで) 手術時に全身麻酔をするので口からガスを送るホースを入れるので顔面はきれいに剃ることとある。20年近いわが鼻下の髭ともお別れか!入院前日泣く泣く髭を剃り落とす。記念にデジカメに収める。 6月9日入院、手術は翌10日11時頃、手術着に着替え台車に乗せられ手術室へアッと思う間もなく全身麻酔、気が付いた時は病室のベッドの上、感じとしては1分位のようだったが、3時 頃で腰の後ろ側がすごく重いし少々痛い。 手術の傷跡は16mm位の穴で、今は傷口から血が少しづつ出るので管を入れてベッド下の袋に集めている。麻酔が完全覚めるまではウトウトして半分寝ているようだ。点滴で当日は終わるが、夜中のオシッコは体を横に向けて尿瓶でとる。傷口からまだ血が出るので腰はひねらないようにと言われているので、ゆっくりと両足を揃え横になる。翌日はベッドで一日中MDでクラシックを聞く、昼間は傷口からの血の溜まる袋を片手で持って歩いてトイレに行ける。傷口は少々重いがそんなに痛くはない。 3日目には術穴にあったチューブをはずす。もう血も液も出 なくなったようだ、少し楽になる。点滴は続いているが食事は術日の翌日からで、リハビリはこの日から軽く始まる。院長の回診があり、術後の傷は、例えて言えば「刃渡り15センチのナイフで腰骨の横をぐりぐり刺して廻したようなものだから痛いのは当たり前だ」とのこと。成程うまい表現だと感心してしまう。それにしても私の腰の痛みはそれほどのものではない。一日一日と腰の重さも軽くなり、痛みも少しづつ薄くなっている。 4日目、リハビリで1階まで行くも術前にあった痛みもシビレもない。ただ、4日も寝ていた故か腰と両膝の後ろが引っ張られるような感じがする。 5日目の15日に、男の料理教室「グルメの会」のお仲間の二人 がお見舞いに来てくれた、この時初めて試し歩きとして駅まで一緒に歩いたが、例の挫骨神経痛も両足のシビレも発症せず、思わず心のなかで万歳を叫んでいた。 6日目、リハビリも溝口先生がゆっくりと丁寧にしてくれる ので有り難い。この日久しぶりにシャワーを浴びることが出来た。 7日目(6月17日土)腰の重さもほんの少しある程度で、痛みもシビレもない。今日は試し歩きを2時間位、初めての小岩の 街中を歩く。初めての街は何処でも(日本でも外国でも)本当に面白い。この手術が無ければ終生来なかったであろう地であるが、手造りケーキの店で飲んだコーヒーが実にうまかった。 8日目午後に3時間程歩き時間を取り、本屋に寄ったり、ケーキ店でコーヒーを飲んだりしてゆっくりと商店街と住宅地を散歩してみた。駅前だけは何処も同じようであるが、世田谷の小田急沿線の駅前とは少しだけ佇まいが相違しているように感じた。 その後は日に日に重さと痛み(傷口の)が薄れ毎日試し歩きを実施し、手術は完全に成功したことを実感した。15日目の6月23日の退院日まで、ベッドでは本を読み音楽を聞き、リハビリと試し歩きで新聞も読まずTVも一切見ないし、ビールもない日々であったが、大変に充実したものであった。特にサッカーは、見ていてイライラがするのが常態であったが、これを見ないで済んだのが良かったと思う。 いずれにせよ、2週間近い入院手術であったが、私の身体の 中では革命が起ったのである。旧体制であった、挫骨神経痛とシビレがなくなったのであるから、将に革命である。 それにしても、現代医学の素晴らしい発展に驚くと同時に、それを自らのものにするドクターの技術に驚異と尊敬の念を心から抱くものである。
最後に大変に重要なことをお知らせしてこの顛末記を終わりたい。一つは、何故もっと早く来なかったかである。私の頭の中に擦り込まれた、手術は大事で長期間かかるということを打ち消してくれる人々が居なかったからである。今回私が経験をしたのだから、その事実だけを必要としている人に伝えれば良いのである。このエッセイもその一つである。二つは、治療費である。実に安いのである。我々が考えていた額の半分以下であった。勿論健康保険は適用出来るのである。因に愛知県でのレーザー治療は健保が利用出来なかったのである以上 |
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| ※写真及び文章につきましては、三浦様のご承諾を頂き掲載しております。 |
1:発症と状況

それにしても、現代医学の素晴らしい発展に驚くと同時に、それを自らのものにするドクターの技術に驚異と尊敬の念を心から抱くものである。
最後に大変に重要なことをお知らせしてこの顛末記を終わりたい。一つは、何故もっと早く来なかったかである。私の頭の中に擦り込まれた、手術は大事で長期間かかるということを打ち消してくれる人々が居なかったからである。今回私が経験をしたのだから、その事実だけを必要としている人に伝えれば良いのである。このエッセイもその一つである。二つは、治療費である。実に安いのである。我々が考えていた額の半分以下であった。勿論健康保険は適用出来るのである。因に愛知県でのレーザー治療は健保が利用出来なかったのである